2010年6月7日月曜日

父のそれから④転院

今日は「転院」しました。
朝から、状態はいい。 先週のようなけだるい様子はない。
もうすっかり、離乳食みたいになってしまった食事ですが、どうにか口に運ぶと時間をかけて飲み込んでくれる。
身の回りの荷物を片付け、準備を済ませた後、転院する病院に連絡を取り、予定時刻に救急車を呼び移動した。
この病院に来たときは、直ぐに退院できるような状態だった。
一週間もいたら、家に帰ろうといっていた。それが、5月の連休を境に状態が急変した。
それからは、良くなるどころか、急激に容態が良くなくなってきた。

病院には居るが、これといった治療は行われていない。
「このままでいいのか?」そういう疑問は有ったが、肝硬変(がん)肺がんの併発で、手術が出来るほどの体力も無い、年齢的にも不可能だということは解っている。
「苦痛が無く、療養を続けてもらいたい」そう考えていた。

「何が出来るか解らない」院長からはそういう話だったが、転院を進められたときには、少し安堵感も有った。
何かが変わりそうな気がしたのは間違いない。

新病棟に着き、集中治療室に入る。主治医の先生は最初に腹水で入院したときの担当医と同じ先生をお願いしていた。
「○○ さ~んもう一度ここに入院しましょうね」廊下で待っていた私にも聞こえてきた。
暫くして、処置室から先生が出てこられて、とにかく栄養が足りない、午後から栄養のある輸血を暫く続けることにしますと、説明があった。
「お任せいたします。宜しくお願いいたします」
そう、答えるしかなかった。
後は、事務的な手続きを済ませる為に、待合室で暫く待っているように言われ、待っていたが、現れたのは主治医の先生ではなく、看護師の女医の先生だった。
簡潔に事務的な手続きの話を済ませると、今の状態について決してよくないことをそれとなく伝えられることになった。
「これまで、病院にいらっしゃったんですよね?」
それは、不可思議な質問だった。
看護師さんが言いたいのは解った。今までの病院では十分な処置が行われていないと言いたかったのだ。
しかし、同じ業界としてあからさまにそうとは言えない。
それで、疑問符を付ける事で、こんなになるとは想像できないことを伝えようとしていたのだろう。
2月の末から3月初めの2週間程度でしたが、同じ部屋に入院していたのを、彼女も担当していたのか?、よく覚えていた。

しかし、転院した病院は救急外来も有り、どんな設備も、専門医も人でも揃っている総合病院だ。
これまでいた病院は、外来検診を主に行うような病院で、入院患者は療養を主な目的としている。

簡単には比較できない。
私はそれでも、これまで入院していた病院の看護師の皆さんには本当に世話になったと感謝している。
元気であれば、父は頑固で、口から物言うと卑下した言葉がどんどん飛び出す。
私は親子だから、なんと言われようが腹も立たない。笑って無視できるが、あかの他人が聞いたら、どんなに非常識人間だと想われるか解らないときがある。
それが「昔の人だからね~」そう、想って解ってくれるまでは、その看護師さんたちは相当に苦労したはずだ。
それが、十分に解る・・、 どうにか尽くしてくれたおかげで、私は仕事が続けられたのだ。


説明が一通り終わった後、

「いつでも、連絡が取れるようにしておいて下さい」・・・・・・・・・・

今日はその言葉が、とても重く感じられた。

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