2010年3月2日火曜日

ひな祭り(2)




今日はお雛様を紹介いたします。
勿論、先日紹介した「草野家」にも沢山のお雛様があるのですが、申し上げたとおり「撮影禁止」の為、ご紹介することが出来ませんでした。
しかし、ご安心してください。
日田市には「雛御殿」というところがあります。
元々は「日田醤油」というお店なんですが、奥には草野家に引けをとらない程の、「享保雛」「古今雛」がずらりと紹介されています。
親切なことにこちらでは「写真撮影可」、いっぱい撮ってきたんで是非お気に入りのお雛様を探してください。
こちらからご覧ください。

ここで、ちょっとだけ「お雛様」について、語っておきます。
元々お雛様は、縄文時代、弥生、古墳時代にみられる「土偶や埴輪」と同じように、人の分身として体内の悪害を人形に移して祭ったことの流れのようですね。
今のように観賞用としてお雛様を飾るようになったのは室町時代頃との事です。
この頃には、分身というよりも子供が健やかに育つ様にとの願いをこめるように代わっていったものと思われます。
雛人形が盛んになったのは江戸時代です。
初期は「立ち雛」といわれるものです、「寛永雛」からは座った姿になります。この頃は未だ左右に手を広げた姿でしたが、「享保雛」といわれるようになると手には扇を持つようになり、衣を重ねるようになります。
そして「次郎左衛門雛」と言われるような代表されるような人形師が現れます。
そん後は、「有職雛」といわれるような朝廷や武家の格好をしたものが主流となってきます。
江戸後期には、目にはガラス玉を使ったり、金糸を使った「古今雛」と区別されるお雛様が現れます。

江戸時代にはどうやら目は細く、面長なお顔が美人だったんでしょうか?

髪を大きく結って、丸顔に目が大きくなったのは、現代雛とも言うんでしょうかね??

江戸時代は「お雛様」は今で言う「御内裏様」のみでした。
今のように「三人官女」「五人ばやし」も揃った7段飾りといわれるのは、大正時代に関東大震災に襲われた際、百貨店がお雛様と調度品を段に置いて同時に販売したことから始まったようです。
屏風やぼんぼり、・箪笥(たんす)長持(ながもち)鋏箱(はさみばこ)火鉢(ひばち)台子(だいす)などですね。

意外と、単純なものだったんですね。

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